元ガリガリの筋トレ日記

【映画分析】時計仕掛けのオレンジ(※ネタバレあり)

 

 現在プライム会員なら無料で観れる、スタンリー・キューブリック作「時計じかけのオレンジ」について、過去に行った映画分析です。

つらつらと書いただけなんで、かなり読みにくいものとなっていますが、何かの参考になれば、また自分の文章の記録として。

 

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  • あらすじ

 近未来のロンドン、アレックスは仲間たちと超暴力で毎晩楽しく過ごしていた。ライバルの不良少年たちとの喧嘩、ホームレスへの暴行、政治的作家の家へ襲撃しその妻をレイプする。その翌日、担当の民生委員が訪ねてきて、近い将来社会が無法状態になる恐れを語るがアレックスは気にもとめない。その夜、中年女性の家を襲って彼女を死に至らしめた彼は、仲間に裏切られ、逮捕される。刑期は16年であったが2年目に自ら「ルドウィコ療法」の被験者に志願する。それはセックスと暴力が嫌悪の対象に変わる治療法であった。治療を終えたアレックスは社会に戻されるが、そこにはもう彼の居場所はなかった。両親から拒絶された後、かつて暴力をふるった人々からアレックスは報復される。しまいには、アレックスへの治療を現政府の失敗として扱うために反政府派の作家に保護される。しかし、歩けなくなった作家の家で彼が自殺を図ったことから政府は施していた治療を解除して、彼を昔の凶悪な人間に戻す。

 

  • 原作

 イギリスの作家、アンソニー・バージェスが1959年に脳腫瘍で余命1年と宣告された時に短期間で書き上げた5つの作品の中の1つ。彼の先妻は第二次世界大戦中にロンドンでアメリカの脱走兵に襲われた。妊娠していた彼女は流産し、うつ状態になり自殺を図る。先妻を死に追いやったアルコール中毒に自分もなりながら書いた作品。

 「それが暴力に対処する唯一の方法だった。私は暴力が耐えられない。暴力が憎い。暴力を紙に書き付けることに責任を感じている。暴力行為を文章にしたら、それはその行為を作り出したということなんだ!それを実際にやったのと変わらないんだ!今の私はあのクズ本を嫌悪している。」

 

  • ナッドサット語

 バージェスが1961年に妻と共にソ連を訪れた際に思いつく。映画の中で字幕の下に線が引かれていた。英語化されたロシア語、幼児語、それにジプシーの言葉やリズミカルなスラングが賑やかに混ざった人工言語。バージェスはロシア語の「十代」を表す接辞語から「ナッドサット言葉」と名付けた。

例)ドルーグ=友達

  イン・アウト・イン・アウト=性交

  デボーチカ=少女、娘

  ホラーショー=良い、素晴らしい

  トルチョク=打つ、殴る

 

  • 服装

 アレックスと仲間たちはバレエ・ダンサー風の衣装を着ている。また、猫をかっていた女の人にいたってはバレリーナの練習タイツを着ている。衣装と音楽によって暴力シーンがまるで舞踊のように感じられる。さらに、アレックスは本来女性のものであるつけまつげをつけており、さらに右目のみにつけられている。昔のイギリスでは出兵する兵士と恋人が「再び対になれるように」とピアスを女は右耳、男は左耳につける習慣があり、男が右耳につけることはゲイであることをあらわす。この映画は女性の性に焦点を当てている感じもあるが、同性愛の象徴も様々なところで見られる。このつけまつげもその一片なのではないだろうか。

 

  • 「ベートーベン第九」と「雨に歌えば」

 「時計じかけのオレンジ」以前には頼まれ仕事の「スパルタカス」を除き「アクションの山場には音楽は不要という原則があった。キューブリックは原作に出てくる様々な古典名曲・架空の曲を全て第九一つにまとめている。ベートーベンの第九の第4楽章の「歓喜」の主題は欧州評議会において「欧州の歌」としてヨーロッパ全体を称える歌として採択されているほか、欧州連合においても連合における統一性を象徴するものとして採択されている。このような音楽と暴力少年であるアレックスを組み合わせることによって知性と暴力は紙一重だということをあらわしているのだと考えられる。また、第九と「雨に歌えば」は最初、アレックスにとって歓喜の歌である。第九が最初にでてくる場面は作家の家を襲撃して音楽を聞きながら一日の終わりを迎える場面。また、「雨に歌えば」が最初に出てくる場面は作家の家を襲撃した場面である。しかし、この二つの曲は次に出てくるときアレックスにとって悲劇の歌となる。第九が次に出てくるときはアレックスがルドヴィコ療法を受けている際にナチスの映画を見る場面。また「雨に歌えば」が出てくる場面は過去に襲撃した作家の家で風呂に入っているときに犯人であることを確信させてしまう場面である。最終的に第九は大臣と会見した時に再び歓喜の歌へと変わる。それだけではなく、場面によって第九の音源は使い分けられている。

 

  • ジョージ・ウォレス暗殺未遂事件

 アーサー・ブレマーが大統領選挙のキャンペーンを行なっていたアラバマ州知事ジョージ・ウォレスを狙撃し逮捕された事件。ブレマーがつけていた日記によると「『時計じかけのオレンジ』を見てずっとウォレスをやることを考えていた。」と書いている。

 

 ロンドンの下町の言葉であるコックニーの「時計じかけのオレンジのように変な」という言葉に由来する。ここでいうオレンジとはオラング(人間)の派生語だと考えられている。また原作によるとアレックスたちが襲撃した作家が書いていた小説の題が「時計じかけのオレンジ」となっている。このことからバージェスが作家と自身を重ね合わせていたことがわかる。また、原作では最後にアレックスは自発的に更生するというエンドを迎える。しかし、キューブリックはそれでは話の趣旨に合わないと却下し、話を途中で終わらせている。自由意思を奪ってロボットのように作り変えても人間は本能的に暴力に惹かれる、ということをキューブリックは表したかったのだと考える。

 以下、個人の考えとなるが「時計じかけ」という意味は政府によって悪行を働かせないように作り変えられることを意味しており、「オレンジ」では、人間は、他人の手が加えられなければ、善の選択をすることができないということが農薬で育てられた画一的なオレンジに連想づけられているのだと思う。

 

 刑務所付き牧師の言葉 「選択! 本人が選ぶ能力がないじゃないか。私欲と肉体的苦痛の恐怖が彼 を醜悪な自己卑下に駆り立てるんだ。そこには誠意のかけらもない。非行は防げても道徳的選択の能力を奪われた生き物に過ぎない。」

オレンジとは人を表します。つまり時計じかけのオレンジとはある者によって時計のぜんまいをまかれた人、自己による選択ではなく他のものによって道徳的判断をする人のことである。牧師の言葉からもアレックスが時計じかけのオレンジになってしまったことがわかる。

 

  • ペットの蛇の死

 蛇はアダムとイブの物語からも「悪者」という印象が強くアレックスに「悪」という印象をつける効果がある。しかし蛇はアダムとイブにリンゴを食べさせ、善悪の知識を与えた者ともいえる。それ以前の人間は神によってすべてを支配された者、善悪の判断すらも全能の神によって支配された者、つまり「時計じかけのオレンジ」であった。それが蛇によって善悪の判断や知識が人間に与えられたとみることもできる。それが「悪」から来る判断であってもだ。アレックスが家に帰ってくるとペットの蛇は死んでしまっていた。これは善悪の判断の死を表し、神に善悪の判断を支配されていた人間と同じように政府によって善悪の判断を支配されたアレックスを表しているとみることができる。

 

  • ルドビコ療法

 暴力的な性格など精神的な疾患を外科的な治療を施すルドビコ療法はすぐにロボトミー手術を連想させる。1935年、エガス・モニスによって発明され、その後多くのロボトミー手術が行われた。ロボトミー手術で切除されるのは前頭葉である。前頭葉は最も人間らしい知的活動をつかさどる部位である。それを切除されるということは暴力的でなくなるかもしれないが人間的な判断を行うことができなくなるのだ。